25話 複数の点が線へと変わる瞬間
追いかけても追いかけても、手から溢れようとしていく伊月を引き止める為に、薫は何でもするつもりでいた。今回の事もそう、全ては彼の先を案じて先手を打っていただけ。 薫の前では和田の姿から伊月へと舞い戻ってくる。住んでいる場所は違っても、週4くらいの頻度で薫の部屋に入りびたっている。表面上は心配だからと言っているが、以前のように伊月と対立する関係の者が薫へと手を出さないように監視しているのかもしれない。 ノビラはこの状況を把握しているように、いつの間にかあの店から姿を消していた。最後の情報を得る為に、数日間はいたみたいだったが、他の組織の動向を確認したのだろう。身を隠したようだった。 「必ず、俺が君を守るから」 熟睡している伊月に囁きかけると、可愛い声が耳を掠める。以前の自分なら伊月の声に反応して戸惑っていただろう。しかし、今の薫は別人のように余裕を持っている。 伊月に渡したパソコンはずっと彼の行動を監視する役割を担っている。その事実に気づく事なく、信用してくれる伊月が愛おしい。 「買い物、行ってくるか」 起こさないように頭を撫で、スマホにメッセージを残すと、食材を買いに行く。 余裕を持つ事も出来なかった昔の自分は、遠い影の一部と重なり合いながら、時間の流れを感じさせてくれる。一人で行動する事は、伊月からしたら怒るきっかけを与えてしまうかもしれない。それでも、わざと一人の時間を作る事で、見えてこなかったものを見る事が出来る。考え事をする時間にあてるのも適しているんだ。 「俺は俺の思う通りに生きる」 覚悟を口に出すと、今まで感じていた不安の正体が見えた気がした。自分の意思より伊月の考えを優先していたから、縋り付くような形になっていた事に。七年の月日は薫の全てを変えていったんだ。 そう全てはあの日から始まったのかもしれない—25話 複数の点が線へと変わる瞬間 追いかけても追いかけても、手から溢れようとしていく伊月を引き止める為に、薫は何でもするつもりでいた。今回の事もそう、全ては彼の先を案じて先手を打っていただけ。 薫の前では和田の姿から伊月へと舞い戻ってくる。住んでいる場所は違っても、週4くらいの頻度で薫の部屋に入りびたっている。表面上は心配だからと言っているが、以前のように伊月と対立する関係の者が薫へと手を出さないように監視しているのかもしれない。 ノビラはこの状況を把握しているように、いつの間にかあの店から姿を消していた。最後の情報を得る為に、数日間はいたみたいだったが、他の組織の動向を確認したのだろう。身を隠したようだった。 「必ず、俺が君を守るから」 熟睡している伊月に囁きかけると、可愛い声が耳を掠める。以前の自分なら伊月の声に反応して戸惑っていただろう。しかし、今の薫は別人のように余裕を持っている。 伊月に渡したパソコンはずっと彼の行動を監視する役割を担っている。その事実に気づく事なく、信用してくれる伊月が愛おしい。 「買い物、行ってくるか」 起こさないように頭を撫で、スマホにメッセージを残すと、食材を買いに行く。 余裕を持つ事も出来なかった昔の自分は、遠い影の一部と重なり合いながら、時間の流れを感じさせてくれる。一人で行動する事は、伊月からしたら怒るきっかけを与えてしまうかもしれない。それでも、わざと一人の時間を作る事で、見えてこなかったものを見る事が出来る。考え事をする時間にあてるのも適しているんだ。 「俺は俺の思う通りに生きる」 覚悟を口に出すと、今まで感じていた不安の正体が見えた気がした。自分の意思より伊月の考えを優先していたから、縋り付くような形になっていた事に。七年の月日は薫の全てを変えていったんだ。 そう全てはあの日から始まったのかもしれない—
24話 使い分けなくてはいけない 機械を通して声を変えていくと、自分の声とは程遠い低音が流れる。情報を交換する為に、自分の正体を隠す必要がある伊月は、いそいそと作業を進めていった。後は相手の承認を待つだけだ。合図はこの回線に埋め込まれている記号音で確認出来るから、便利なものだ。「もしもし名東だが、お前は誰だ?」 パソコンを通して流れてくる声は思った以上に年上だった。伊月はいつもの調子で演技を開始していく。「初めまして名東さん。そちらがある組織を追っているのは把握している。私もその組織を追っていてね、協力関係を結びたいのだが、どうだろうか?」 本当の自分を隠して役を作っていくのは、刺激があって楽しい。そうやって成り切っていくと、確かめるように声が届いた。「もしかして、お前は」 自分とコンタクトを取りたい人間を頭の中で探っていたらしい。正直、伊月にたどり着いたのかは分からないが、そう簡単ではないだろう。ハッタリの可能性が高い。それを見越して、わざと相手の話に合わせる伊月は、心の中で笑いながらも、冷静を保とうとしている。「それはどっちでもいい、あんたが考えている事で正解だ。それよりどうする、協力関係になるのか、ならないのか、その返答を聞かせて貰わないと話が進めないからな」 薫に作ってもらったパソコンは使いやすい。そしてその中で声以外の環境音を取り込めないように作り変えている。正体をバラす訳にもいかないので、複数の国のサーバーを介して話をしている。「お前の持っている情報には価値があるのか?」「あんたからしたら喉から手が出る程、欲しいものだと思うよ」 ノビラの束ねる組織は彼が考えているよりも、大きな組織になりつつある。日本だけではなく、今では世界にも広がりを見せているのが現状だ。名東がどこまで把握出来ているのかは知らないが、何の足も掴めてない彼らからしたら、機密扱いになる情報だろう。「何の約定もなしに受け入れる事は出来ないのが本音だが、お前の声には思い当たる節がある。今回はその提案を受けよう」「話が早くて助かる
23話 新しい縁 熱が下がったのを確認すると、起きた時に食べれるように、雑炊を用意した。メッセージが入ったのを確認すると、メモを書き残して、薫の部屋から出ていく。まだ一緒に居たい気持ちを抑えながら、自分の次の行動へ繋がる手立てを手に入れる為に—— 着替えを持ってこなかった伊月は、マスクのお陰で和田に成り切っていく。泊まりだと指摘されたとしても、逃げ道は作っているから大丈夫だと言い聞かせると、目的地の地図を確認しながら、歩いていく。「ここか」 20分歩いたぐらいにやっと目的の建物が目に入る。平日だからか、人の姿は見えない。自分の部屋に戻るような感覚で、トントンと階段を上がっていくと、古びた部屋部屋が物静かに佇んでいた。呼び鈴を押すと、ガチャリとドアが開かれた。「僕だけど」「入って」 この部屋は時々だが情報を売買する時に使う隠れ家のような場所だ。ある人物の息がかかった一部の人間しか使用出来ない為、簡単には表に出る事はない。どの時代になっても表裏一体。「これが頼まれていた資料だ」 茶封筒に封じられている情報は天田の調査報告書だった。表面的に見える部分は勿論、裏で何をしているかが全て記されている。「弱みを握られた可能性はあるだろうな。それともお前が気に入らなかったとか」 皮肉を混ぜながら、ハッと腹から笑うと、口元のピアスが揺れた。情報屋は名乗らない、ただ仕事の為に必要なものを用意するだけなのだから、そこには名前なんて必要ない。 これ以上、踏み込む事はしない。正直、ある程度の顔見知り程度にはなっているのだから、呼び名でも教えてほしい気持ちはある。全てはルールによって成り立っている世界。どう思おうが、変わる事はない、これからも。「まぁ、どう感じているのかは本人しか分からないかもね」 あっけらかんとした雰囲気を漂わせながら、口走ると、余裕を持っているように見せてくる。張り合いたいのか、こうやって人の感情を逆撫でしてくる。「今回の情報料は」 財布の中には念の
22話 人の有り難さ じっとりとした体をゆっくり拭き始めていく。最初自分で吹いていた薫を見かねて、伊月がタオルをぶん取った。「何す……」「ちゃんと拭けてないだろ。僕が拭くよ」 タオル越しに伝わってくる手がゆっくりと背中をなぞると、何だかゾクゾクしてしまう。こうやって人に吹いてもらうのは、子供の頃以来だった。母の柔らかい口調と温もりを思い出していると、無言になっていた薫に、声をかける。「気持ちいい?」「うん」 伊月がそう言うと、在らぬ妄想をしてしまう自分が何だか恥ずかしく思えた。一生懸命看病してくれているのに、不謹慎なのだろう。 伊月に言われるまま、熱を測るといつもより体温が高い。基本平熱が36度に到達しないのに、今日に限っては37度もある。疲れが溜まっているのかもしれない。「無理してたんだね、気づけなかった」 申し訳なさそうに呟くと、手の動きが止まった。どうやら拭き終えたようだ。「今日は安静にして。明日様子を見て、休みを取ろう。僕も明日は有給取ったから」 薫が寝ている間に上司に連絡を終わらしていた薫は、そう言いながら、服を着せていく。脱がされる事はあっても、逆はなかなかない二人は、まるで新婚のような雰囲気を纏いながら、横になった。 悪夢を見ないようには出来ない。それでも少しでも気分を紛らわそうと、昔話を話してくれる。伊月也の配慮かもしれない。ふわふわと氷枕が脳を冷やしていく。次第に虚になって、空に飛んでいきそうだった。 意識を手放そうとしている薫の額に、優しいキスを落とすと、まるで母親のように、優しく頭を撫で、寝かしつけていく。「ん……」 顔を赤くしていた薫の表情が緩やかに変化していく。寝る前に氷まくらを設置したのが正解だった。部屋にあった解熱剤の効果もあるだろう。一つのベッドで二人が寝ている。なかなか寝れない伊月は、うっすら開けていた瞼を、ゆっくりと閉じると、頭の中で数を数え始めた。「おやすみ」 寄り添いながら、互いの熱
21話 無意識と繋がる 協力者に力を貸してもらうと、天田の後を尾行するように命令をした。自分達の近くにいるのは天田だけ。過去の事も、伊月の事も知っている天田はノビラにとって恰好のターゲットだと考えるのが近道だった。 しかしどうしても考えられない事が複数浮かんでくる。その疑問を形に変える為に、見えない罠を用意していた。 「店に通っているよ、そこに奴がいる」 「そうか二人は繋がってたんだね」 天田とノビラの出会った場所はあの店で間違いないだろう。時間をかけて姿を隠していたノビラがこうも簡単に表で生活している理由に繋がっていくと、予想は確信へと変化した。 「後は書類で」 細かな事を今聞くことは愚問だろう。徹底的に調べてから一つの書類として手にする事が出来れば、なんの目的で近づいたのかが明白になるはずだ。 一日で環境に変化があった薫は、思っている以上に疲れていたようだ。ご飯も食べず、ただひたすら子供のように眠る姿に癒されながら、電話を切った。例え聞かれたとしても、仕事関係と言えば、それ以上は踏み込んでこない。そんな単純な薫が可愛くもあり、心配でも会ったのだった。 薫は遠くから感じる伊月の声に反応しながら、眉をぴくりと動かす。一瞬、苦しそうな表情になっていたが、何事もなかったように、夢の中へと沈んでいった。 夢の作る世界は何の色も持たない空白の世界。その中に地上と天空があると、異常な速度で落ちていく。地上に足を沈めると、じんわりと温かいものが纏わりつきながら、薫の心を修復するように、包み込んでいった。 「温かい」 夢の中のはずなのに、温もりを感じている。この感覚は遠い昔に知っている記憶の一部から厳選されたものだった。母体の中で眠る命の煌めきのように、美しく、悲しい。共鳴していく感情に揺られると、自分が泣いている事に気づいた。 場面は切り替わると、ノビ
20話 始まる夜 今まで関わろうとしても拒絶されるの繰り返しだった和田は、自分の正体を告げた事により、仕事中も側にいたい衝動に駆られた。しかし周囲の目がある。急に距離感が近くなると、違和感を感じる人が増えていくかもしれない。「待てよ……」 薫とこれからの事をじっくり話して、設定を作り込むのはどうだろうかと考え始めた。多少の時間は必要になるけど、何度もアタックした和田に薫が折れた状況を作るのがいいのかもしれない。本当の姿は見せないように、気をつければいいし、二人がお泊まりをした噂も都合よく流れている。「ふふん」 唾をつけて仕舞えば、薫に変な虫はつかないと考えた伊月は、和田としての行動を取りつつ、心の中で軽やかなスキップをした。「おはよう」 伊月の妄想に水を差したのは天田だった。この姿で話すのは面接の時以来だった。和田の正体を知らない天田は、仕事上の顔でたわいも無い会話を続けている。「面接の時以来だね、最近はどう?」 薫にちょっかいをかけるようになった和田が気になって仕方がない様子。伊月は知っている薫と関わる社員には必ず、声をかけている事を。いくら昔から知っている間柄と言っても、人間関係まで踏み込むは違うと感じている。「お久しぶりですね、うまくいってます」 彼の言葉には二つの意味が隠れている。仕事の事と薫との事だ。少し含みがある表現をしたから、もしかしたら勘付かれたのかもしれない。少し眉毛がぴくりと反応をした。その様子を見て、薫に関わる事をよく思っていないと確証を得る事が出来たんだ。「そうなんだ、最近、君の噂を聞いてね。プライベートな事に踏み込むつもりはないんだけど、自粛してくれないかな」 変な重圧を感じる。余程、仲良くして欲しくないと見える。見えない火花が二人の視線の間を行き交いながら、時間が止まったように流れていく。プライベートに踏み込むつもりはないと言いながら、完全に踏み込んでいる。「……考えておきます」 拒否も受け入れもせず、中途半端な状態をわざ